◆≪最大成果を宣言≫ ちょっと頑張ろう 2473号   2016/6/21 火曜日

≪私は正しい――正しいには枠組がある≫

━ 正しいと言えるのは、分かっている基準があるからだ。
「分かっている」は、既に立証されている。
または、科学で論理的に証明されている。
皆が、大半の人が「そうだ」と思っている。
永年、続けていて問題はなかったとしている。
別の角度で、決められているルールに対して正しいと言う場合がある。等々。

ルールが変われば、正しいが変わってしまう。
正統は、大半の人がyesと信じている事柄かもしれない。
正統が変われば、正しさはやはり変わる。

正しいには、枠組があるのだ。 ━


科学的な立証にも、ルールがあって、科学とする定義に従っておれば、正しいとする。
長さや重さの測定も、常に誤差を容認している。
見える範囲での正しいがある。

正しいには、比較するものがあって、ある種の基準が存在しているのは確かだ。
根拠が変われば間違いになるものも多い。

美味しい、美しい等々にも、正しさがあるかもしれない。
声楽、歌舞伎等々の芸能も、正しさがある。

基準をなくしてしまえば、正しいは分からなくなる。
大半の人が同意できる基準、自然界で大半の人が認める基準に従って正しいとする。
正しさが不明瞭になれば、混乱が起こるのは間違いないだろう。

為替変動がある。
一つのモノに対する価値に関わる思いは変わらない。
為替変動によって、経済価値が変動するのは、正しいとするのは問題がある。
基準と尺度、影響次元が違うのだ。

国境を超えるとルールが変化する。
ある地域では正しいが、別の地域では間違いである場合もある。
美意識、価値観によって行動変化が起こる。
この行動変化は正しいのだろう。
適応と言う意味では、間違ってはいない。
適応とは、真実、心理に対しての適応ではないかもしれない。
正しいとは意味が違ってくるが、その地域では正しい。

人の移動が楽になり、頻繁になった。
モノ(物と情報、知識)の移動が速くなり、地球規模で、全体に起こっている。
見える範囲が拡大してしまった。
正しいが適応へと意識が変わって、正しさの枠が広がって、正しさの許容範囲が広がった。

すべてが見える範囲、解釈できる範囲で正しさがある。
道具が精緻になって、小さい物も、途轍もなく大きい物も見えるようになった。
人々が日常に手にしている道具の範囲で見える領域が広がって、正しいが変化し始めている。

道具が、平行次元を覗けるようになって、考える枠組、材料が多くなった。
知識科学が解明されながら、認識領域を広げている。
時間経過からの未来の予測システムが出来つつあり、連続線上で起こりえる。
10年前とは起こりえる断絶領域が小さくなった。

それでも、明日は分からない。
知識と思考が、明日をカバーしようとし、行動が、分からない明日を確かにしようとする。
ここには正しいが存在していない。

「私は正しい」としている根拠は見えている範囲でしかない。
文化、習慣、分かりえた若干の知識から、正しいと論じる。

自分の枠から出てくれば、正しいとは断定できない。
「私は間違っているかもしれない。他に正解があるかもしれない。」
これが明日に向かうための最低の姿勢かもしれない。



━━ ■ ━ レポート≪社会変化を観察する≫に2種類を追加しました。
「表現&思考構造変化を全国紙社説で追う2014年〜現在まで」
「社説キーワード変化を追う 2014年〜2016年5月まで」
http://www.seedwin.co.jp/report.html

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ブログの分析結果 http://www.seedwin.co.jp/ganba_rireki2016.html


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