◆≪最大成果を宣言≫ ちょっと頑張ろう 2472号   2016/6/20 月曜日

≪私は正しい――正しさにすがる≫

━ 間違いを誰もが犯したくはない。
正しいことを行いたい。
正しいと信じることを行いたい。
そう、「正しいと信じている」だけかもしれない。
正しさは、何をもって正しいとしているのか。
正しいと信じているだけなのかもしれない。

一つ、間違いのないものがある。
正しさには意味があるのだ。 ━


日々の仕事が正解の中でしていると思っているなら、間違いである。
正しいとした事柄が、間違いでなくとも、正しいとは限らないとしておかねばならない。

無数と言ってよいほどの仕事の種類がある。
すべての人が、無数の仕事をしているのではない。
その中から僅かな仕事を取り出し、日々活動している。
好きと嫌いではなく、ただ、始めたのかもしれない。
だが、続けていけば、その仕事が当然になり、自らの行動が決まってくる。
もちろん、行動の幅はあるし、一つの行動を決めるにも、いくつかの選択肢から選んでいる。
選んだ方向と方法は正しいとしている。

誰も、正しくないとは思っていない。

逆の性質を持つ仕事がある。
単純に、作る仕事と壊す仕事、廃棄する仕事に、産み出す仕事は、結果として相反するが、
共に正しいとしている。
方法も方向も正しいとしているから、迷いもなく実行し、一日が終わった後に気持ちよく酒も飲める。
明日に向かって休めるのだ。

正しいか正しくないかは、あまり考えない。
だが、正しいとした根拠は無いかもしれない。
自分が正しい、考えている事も正しいと信じているに過ぎないかもしれない。
正しさにすがっているのだ。

ずっと将来に、正しいことだったと分かるかもしれないし、逆であるかもしれない。
大切なのは、自分が正しいと思って選択し、行動したことだろう。

その時々に、ちょっと立ち止まって「していることは正しいのか」と考えてみる必要がありそうだ。
正しさの根拠はどこにあるのか。

大量生産が始まった頃、ただ作れば良かった。
作れば売れたし、消費されていった。
今では、廃棄を考慮しなければならなくなった。
作ると廃棄が一体である。
作る行為だけでは、正しくないのだ。
作る工程で害をなすモノがあれば、作ること自体が害になるモノもある。
毒は毒であるが、毒が薬にもなる。
薬であったモノを大量に摂取すれば、間違いなく害になる。

作るだけでは、正しいとは限らない。
どこまで考えれば良いのか。
どこまで考えて、どこまでの影響を検討して、今の行動が正しいとするのか。

影響を考えるのは自分の仕事ではないから、負の影響が出たとしても、自分の仕事ではない。
だから、自分は正しいとするには問題があるとする方が多くなったかもしれない。

完全な行動を行ったとしても、正しいかは分からない。
自分が完全であると思っているだけかもしれない。

列車運行ダイヤがある。
ダイヤ通りに列車を走らせる。
ダイヤ通りが間違いなく正しい。
路線が複雑に絡み合えば、ダイヤ通りに実行することが正しい。
年度が変わって、ダイヤが変わる。
ちょっと不思議な気がする。
何故ダイヤが変わったのかと尋ねれば、改善したのだと言う。
改善をする必要があるとすれば、以前は正しくなかったのだ。

改善が良く言われる。
すべて、今している事柄は正しくないのかもしれない。
正しいと信じているだけで、正しくはない。
間違いではないかもしれないが、正しくはない。

何をもって正しいとしているのかが判然としない。
約束をしているからだろうか。
約束を果たすのは正しいだろうが、何に対して正しいのか。
もし、約束自体が不適切であれば、約束を果たすことのを方が間違いになる。

正しいと信じる。
正しさにすがる。
だから、自分の行動に安心する。

振り返ってみると、失敗は数々ある。
どれも間違っていたのか。
間違いではないはずだ。
正しくはなかったと言える。
果たして「正しい」の単語が使えるかは疑問ではあるが。

行動には意味がある。
正しさにも意味がある。

その意味を理解しておれば、少なくとも間違いにならないかもしれない。


━━ ■ ━ レポート≪社会変化を観察する≫に2種類を追加しました。
「表現&思考構造変化を全国紙社説で追う2014年〜現在まで」
「社説キーワード変化を追う 2014年〜2016年5月まで」
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