◆≪最大成果を宣言≫ ちょっと頑張ろう 2463号   2016/6/7 火曜日

≪マネジメント活用――マネジメントの問いと答え≫

━ マネジメントは知識である。技術にも成り得る。
マネジメント知識を得て、仕事の現場にて技術に転換するのは、各人である。
マネジメントは、各人が持ちえる知識、技術を最適に活用する方向へと向ける。
その解をマネジメントが示すのではなく、問いを投げかけるのである。
解は、すべて各人の中にあり、業務の進行にある。

方向を定め、方法を示唆し、自らにその解を待たせる。
マネジメント知識は、各人が持つ知識、技術に働きかける。
この意味を解した上で、マネジメントを問いとして受け止める。 ━


ドラッカー氏の著書『新しい現実』にこうある。
「マネジメントとは、人に関わるものである。
その機能は人が共同して成果をあげることを可能とし、
強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることである。」

「人に関わるもの」となれば、人についてすべてになってしまう。
「人に関わるもの」には、人格、性格、知識、技術、習慣、文化、生活、仕事、
在住と仕事の地域、人と人との関わり等々、さらには、人が活動する社会までもが入る。
おのずと組織とは何かの問いも生まれてくるだろう。

「人に関わるもの」で、まず最初の問いは、人とは何かである。
当然、組織にあって、人を人材とするのであるから、人としての意味が違ってくる。
人を道具としては扱えない。
もちろん、材料ではない。
だから、コストとして勘定できるはずもない。
コストとして勘定するのてあれば、入れ替えも自在で、動かす方法をも固定してしまうのかもしれない。

100年前なら、このままの考え方で良かったかもしれない。
社会派小説「野麦峠」「蟹工船」で表されたような人の管理が重きをなしていた。
テイラーシステムの科学的管理法は、人の管理ではなく、道具と行動管理だった。
行動を規制したところでは、人をコストとして扱わざるを得なかったかもしれない。
時代は過ぎ、知識社会となり、人が知識、技術を持ち、技能を十分に発揮してもらわねばならない。
当然の如く、人の管理ではなく、成果の管理になり、成果の組み合わせになる。
人が自らの行動の結果、生み出されてくるものを自覚しなければならなくなる。
ここでは、強制ではなく、自意識と、自らの成果に委ねる範囲が拡大した。
知識労働にとっては、労働管理は困難になっているのではなく、できなくなった。

人材とは何かの問いが産まれてくる。

「マネジメント機能は人が共同して成果をあげることを可能とする」とある。
共同とは何か、成果とは何か。
共同も成果も、安直には使えない。

仕事の成果を明瞭に示唆しているもの提示しなければならない。
これが成果であるとしなければならない。
組織にあって、一人材が、与えられた仕事を完結させて、できた結果が成果であるとは言えない。
仕事で出来上がった事柄が、市場で役立たねば成果にはならない。
市場で役立たない仕事の結果は、単に、時間と労働の無駄使いにしかならない。
無駄使いだけで済めば良いが、組織が持つ資源を捨ててしまう結果になる。
負に働いてしまう。
だからこそ、成果を明瞭にしておかねばならない。
多数の人材が仕事をし、多数の結果が集められて、大きな成果になる。
その成果は何か、個々の成果は何か。
ここにマネジメントの機能がある。
共同の意味がある。

同じ方向を向いて、目的を一つにする。
今、一度、共同の意味を検討しなければならない。

ここまでの解を得られたなら、
「強みを発揮させ、弱みを無意味なものにする」はおのずと解が現れる。
人材に弱みを強要することは、無駄使いになる。
ある人材の弱みを、別の人材の強みで組み合わせる。
弱みをあげつらう上司がいるとすれば、その上司は、組織に背いている。

個々の人材の強みは何かを探さねばならない。

「マネジメントとは、人に関わるものである。
その機能は人が共同して成果をあげることを可能とし、
強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることである。」
繰り返しになるが、ここに、次の問いがある。
人とは何か、共同とは何か、成果とは何か、強みは何か、である。

マネジメント知識は、自らの専門知識と行動に問いを出している。
各答えは、それぞれの仕事の現場にある。
答えを持った者が、より大きな成果をあげる。




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