◆≪最大成果を宣言≫ ちょっと頑張ろう 2447号   2016/5/16 月曜日

≪始めの始め――初めてなど、極わずか≫

━ 始めの始め、終わりの後の後 続く始めが後の後を感じさせる。
一つの行動は、単に一つであって、行なう者の氷山の一角でしかない。
現れたモノは直ぐに消え、次に行うモノへと姿を変える。
見えているモノは、常に氷山の一角で、大層に上手くできた事柄も一部分である。
上出来の自慢は、次の上出来を見失う。

隠れた姿を僅かでも知っているのは自分だけである。
その姿をどれほどに認識できたかで、次が決まってくる。 ━


初めての事柄に取り組むとき、すべてが初めてのように思う。
しかし、初めての事柄は、極僅かでしかない。

初めて挑む事柄に、初めての技がある。
見える技、身体を動かす、手を動かす、すべてが初めてかもしれない。
見える動きは、真似ができる。
真似て思うようにはならないから、何度か繰り返すうちに、出来は悪くても形になる。
そんな経験は誰もがしている。

初めての事柄を同じように始めた何人かが、終わってみれば、形が皆違っている。
感じたモノ、会得したモノ、すべてが違う。
興味を抱いた者もおれば、薄れていった者もいる。
改めて試みてみようと思う者もいるかもしれないし、一時の遊びとして忘れる者もいる。

それぞれに、始めがあって、終わりがある。
何事も経験として試みる者と、時間潰しの者もいる。
始め方も様々である。

すべて、始める前の取り掛かり方によって終わりが違ってくる。
取り掛かり方は、今までの過ぎ越し方によって変わる。
諸々の経験、モノゴトへの姿勢、目的としている所、目的への意味、等々。

一つの始まりへの試みは、すべて始めの始めがあって、始まる。
初めてが、初めてではないのだ。
諸々の経験と思いがあって、初めてが始まる。
この意味では、すべてが初めてである。

始めの始めがどれほどのモノであるかは、ほとんどの者は気付かない。
人に初めてのモノを伝えようとする者も、相手の始めの始めは分からない。
しかし、自らの始めの始めを知っている者は、初めてを小さくして、上手になり易い。

初めて始めて、慣れて、上手になって、セミプロになって、プロになる。
始めてから、いきなりプロにはならない。
但し、始めの始めの認識の程度と大きさによって、始めからプロへの時間が違ってくる。

何を認識しているかが大切になる。

今している初めてを想い、これから終わる後を想像する。
持てるモノを書き出してみる。
しておきたいことを合わせて書き出していく。
書き出すこと自体が自分である。

書いておくだけでも、始めの始めが分かるかもしれない。
初めては初めてではない。



copyriht© SeedWin all rights reserved.