◆≪最大成果を宣言≫ ちょっと頑張ろう 2444号   2016/5/11 水曜日

≪知識と技術――卓越するを目標にして≫

━ 知識と技術は個人的なものである。
誰もが最初は、知識、技術を持ち合わせていない。
学習、実験を繰り返して獲得していく。

知識、技術が高度に専門化していけば、専門だけで一つの仕事を完結させられない。
完結させるために、複数または多数の仲間を必要とする。

ここに、もう一つの知識、技術が必要になる。
仲間たちを一つにまとめて、一つの仕事を完結させるための知識、技術である。 ━


オーケストラの指揮者をなくして、オーケストラは機能しない。
指揮者には、高度な知識、技術を必要とされているのは想像できるはずである。
チームで行うスポーツはすべて、リーダーを必要とする。

リーダーだけでは、チームは成り立たない。
各人に一定以上の専門の知識、技術を必要とし、
チームメンバーとして役割を果たすための、知識、技術がいる。
個人にとっても、チームメンバーとしての、専門とは別の知識、技術が求められている。

常に、二種類以上の知識、技術を求められている。

スポーツやオーケストラでは、固定された枠組がある。
スポーツには、グランドがあり、厳密なルールがあり、審判がおり、
ゲーム展開が如何に進むかは別にして、設計図と時間制限がある。
オーケストラでは予め団員に配布された楽譜があり、行うべきことが決められている。
オーケストラにも決まった時間があって、観客に対しての目的がある。

オーケストラとスポーツの観客の性質、目的は違っている。
観客の目的が異なるから、オーケストラとスポーツでは、行動目的が違ってくる。
スポーツの相手は、相手チームであり、観客は二次的である。
オーケストラの相手は、観客そのものである。

観客を得るためには、スポーツ選手、オーケストラの団員の技量は、
間違いなく一定以上のレベルに達していなければならない。

ビジネスでも同じであるはすだが、組織人はまったくの素人からプロまで混在する。
ビジネスの直接目的は、モノの販売である。
モノの意味の違いはあっても、スポーツ、オーケストラも、ビジネスも同じである。

ビジネスにも時間があるが、スポーツのように短くはない。
ルールはあるが、社会、制度、商習慣であり、コンプライアンスで言われている範囲である。
審判は、社会であり、市場である。

知識と技量を、ビジネスも必要とするはずである。
しかし、プロスポーツや、オーケストラの団員のように、高度な技量を求められてはいない。
スポーツ選手、オーケストラの団員は、自らの持ち物、つまり技量が明確である。
彼らは、日々、トレーニングをし、トレーニングのための工夫を行い、学習をする。
怠れば、たちまち、チームからはじき出されていく。

ビジネスでは、
人材が持ちもの、道具を認識していないのは何故だろうかといつも不思議に思う。
自らの得意、専門を、どの程度、知覚しているのだろうか。
得意をさらに得意にするために、卓越させるために、学習と実験を繰り返しているのだろうか。

マラソンや耐久レースを見ると、彼らの努力は大層であり、努力と成果が感動を誘う。
努力が実を結び、表に出てくる職種はいくらでもある。
タレントもそうだろうし、コックも、美容師も、芸術家と言われる人たちも、小説家も、
知識、技術を磨く。
一つ、はっきりしているのは、持つべき道具が明確であり、自覚している。
如何なる分野であっても、磨き、学ぶべき対象を知っていて、何よりも、顧客を知っている。
顧客の望むモノを知っている。
持てる道具と道具を使った具現物を理解している。

ビジネスでは、努力をし、学習をしているのは分かっているが、
果たして、持てるもの、持つべきものを自覚しているかは疑わしい。
持つべきもの、持てるものを知らずして、努力したとしても、正鵠は得られない。

持てるものを自覚しなければならない。
中途半端な科学者は、自らの専門の活用分野を知らない。
すべての分野について言えるが、持っているものの使い方と目的が知らなければ
プロにはなりえない。

卓越するのは難しい。
だが、使い方と目的を知っていたとしたら、卓越するのはたやすい。
卓越したものを、さらにレベルアップもできる。

持つべきものを確認しよう。
ある部分、小さな部分でも良いから、小さな得意から、卓越へと汗を流してみよう。
知識、技術の汗である。

スポーツやオーケストラと違って、持ちえる道具は無数にある。
卓越できるものは限りなくある。
ありすぎて、分からないのかもしれない。
自らが持てるものを書きだしてみよう。

ビジネスでは、専門家が居そうで居ない。
意外に卓越するのはたやすいかもしれない。


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