◆≪最大成果を宣言≫ ちょっと頑張ろう 2443号   2016/5/10 火曜日

≪知識と技術――経験ストーリー≫

━ まず、経験のストーリーを思い出す。
一つの経験が、ストーリーを持ったとき、新たなストーリーが始まる。
経験にストーリーが出来なければ、いつまでもストーリーはできず、
経験が知識に変わるときはない。

誰もが、一つや二つの経験ストーリーを持っているはずである。
たまに、歳を取っても学校を卒業したときよりも知識が増えていない人がいる。
元々、知識を認識していなかったか、経験を人任せにしていたかである。

持っているものを確認して、ストーリーが作れるようにならねばならない。
一つのストーリーを認識できれば、ストーリーが他のストーリーを呼び寄せる。 ━


経験にはストーリーがある。
始めがあり、終わりがある。
始めから終わりまでの思考と行動を振り返って、連続の行動を描いてみる。
最初に何をしたのか、したことに対して、何が起こったのか。

相手が物であれば、モノ言わぬから、形を変えられても文句も言わないから、
自分の掌の中で、相手を覗き込むだけである。

自分の身体よりも大きければ、掌に包み込めないが、大きさに関わりなく、思いを包み込む。
物を作るとは、自分と向き合っているのと同じかもしれない。
自分だけのストーリーが出来上がっていく。

果たして、すべての経験がストーリーを作っているのかと疑問が湧く。
言われたことを言われた通りにして、出来、不出来を言われて、何とか仕上げて、
出来たストーリーは、いらだちと反省だけかもしれない。
初めての事を、言われながらにおこなって、出来た喜びはあるかもしれない。
手順を追って形になったとしても、方法の一部が自分の中に入っただけだ。
初めての経験は、出来たと言う思いで、自分が現れたのではないから、
掌に包み込むものはない。

一定のレベルに達したとき、初めて、包み込む物ができる。
自分ですべての工程を終え、僅かでも工夫がのかってくる。
このとき、すでに、物の結果を見ている。
物ではなく、物の出来、結果を見る。

結果を見ているから、いとおしく思い、物に自分を見つけて、掌に包み込んでしまうのだ。
経験がストーリーに変わるときである。
経験ストーリーを積み上げていく過程で、経験を知覚できるようになり、知識に変わる。
知識は、自分のモノになり、伝達できるようになり、体系化してくる。

教わる時、知識を体系化している人からにしよう。
教える時、知識を体系化しておこう。
知識が技に変わり、伝達が可能になったとき、知識が機能として働くようになる。


経験プロセスに他の人が関わると、別の趣が姿を現す。
掌に包み込めなくなる。
物の結果を共有できれば良いが、物は浅薄になり易い。
「できれば良い思い」が出てきやすくなる。
人の数だけの異なるストーリーが現れてくる。
難しさが一気に増してくる。

現在では、一人で一つを成し遂げられなくなっている。
感情と知識と技が、少なくとも二重以上になってしまった。
だから目的に沿えと言われるのだが、
作り終えれば良いとなれば、掌に包み込めるモノが消えていく。
仕事が面白くなくなり、腹立たしさが出てきて、辛さが現れてくる。

苦情は、仕事に対してではなく、人に対してが大半を占める。
仕事の性質が別のところへと行ってしまう。

誰もができる目的ではなく、難しい目的が必要なのだ。
一つになれる大きな目的がいる。
経験がストーリーを作るのではなく、目的が経験を作り出し、ストーリーを作る。

一人でするとき、経験ストーリーができるが、
複数になれば、目的が経験ストーリーを提供する。
可能な範囲で、未知であれば、ストーリーになり易い。

仕事が昨日と同じであると思わないようにしなければならない。
新たに始まる仕事の方法を過去から探そうとしていては、ストーリーが作れない。
コピーは、他に対して拙いのではなく、自分に対して害をなすのだ。


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