◆≪最大成果を宣言≫ ちょっと頑張ろう 2442号   2016/5/9 月曜日

≪知識と技術――認識から始まる≫

━ 自らの知識を認識しておこう。
何を知っていて、知っている事柄を如何に使っているかを考えてみよう。
知っている事柄を列記してみよう。
知っている事柄を列記できなければ、
してきた事を列記し、必要になった知識を洗い出してみよう。
かなり多くの事柄があるはずである。

学校で学んだ事柄だけでなく、経験から生まれている知識がある。
それこそが、自らを創り出して起因になっているはずである。 ━


見えるモノ、見えないモノに関わらず、認識されて知識となる。
認識は個人的で、認識できなければ、知識を積み重ねられない。

見えるモノは認識しやすく、見えないモノは通り過ぎていく。
言葉だけが残って、言葉だけを知って、認識しているとは言い難い。
言葉だけが知識になって、言葉が連なって、知識であるように思ってしまう。

単純な言葉では、仕事、業務、ビジネス、組織、成果、目的、マネジメント等々、
説明すると空疎である場合が多い。
これらを見えるモノとしている時、非常に特異な断片となる。
言葉の一片を示して、それぞれを、何を、どのような、を体系づけられていない。
辞書にある意味をとらえたところで、言葉の枠を示すだけに留まっている。
自らが認識して、体系づけなければならない。
辞書の意味は始まりであって、中味は自らが体系づけなければならない。

言葉だけの意味を取り込んでおれば、習慣的な思い込みになってしまいやすい。
思いこみが真実であり、普遍であれば良いが、
そうでなければ、矛盾か、ギャップが生じてしまう。
もっとも、矛盾、ギャップが生じていると気付かない場合が多い。

たくさんの同種の認識された事柄が集まって体系化されて、知識体系になる。
異なる知識が組み合わさって、知識が広がり構造化される。
構造化された知識が、事物に関わって、機能化し、技術になる。

知識体系が論証されて、科学になる。
ある現象、事物、環境において、一定の結果をもたらすと証明されたときに科学が産まれる。

科学は多くの認識の集まりで体系化された結果である。
だから、誰もが、科学の始まりを多く持っている。
科学であると認識できれば、科学が始まる。

経験を認識しなければならない。
何をもって、何に対処し、如何なる結果を得たかを認識する。
まさしく、実験そのものである。
だから、仕事は実験道場であるとし、実験を認識できたとすれば、教育と研究の場となる。

認識できなければ、単なる経験、景色を眺めただけになる。

同じように、企業に勤めて、年数がたち、差が現れてくる原因がここにある。

目的(方向)と方法があって、目的を達成できたとしたら、プロセス全体に技術がある。
類似した状況で、同じことを行い、
同じような結果を導き出せたとしたら、科学的根拠を持った技術になる。
技術にも認識があって、知識と技術の関わりが生じている。

知識は体系化し、構造化し、機能化しなければ、活用できない。
体系化するにも、構造化、機能化にも技術が必要になる。
知識を知識とする知識と技術である。
この認識は大切である。

相関と相反、矛盾とギャップ、カテゴリーの境界を一つ一つ検討する。

ある事柄を実施して、失敗したとしよう。
プロセスに問題があった場合もあるが、
回を重ねていたとしたら、プロセスの間違いはほとんどない。
元々の前提に間違いがあったのだ。
前提への認識を、習慣で行っている場合が多い。
当然、前提が変わらなければ、アプローチも変わらない。
多くの失敗の場合は、行為の前にある。

前提、アプローチ、方向と方法、成果のあり様への認識、つまり知識が必要になる。

知識と技術、新たな知識と技術は、特に、自らに責任がある。



copyriht© SeedWin all rights reserved.