◆≪最大成果を宣言≫ ちょっと頑張ろう 2439号   2016/4/26 火曜日

≪人、組織、社会――正しいはない、最適を追う≫

━ 人材には、十分に能力を発揮してもらいたい。
成果をあげてもらいたい。
組織として、最大の成果をあげ、利益も最大であり続けていたい。
人材、組織の成果をあげる場所は、社会である。

人材が組織内で成果をあげている状態は、直接、間接に関わらず、結果として社会に現れる。

人材が組織を考えず、社会を視ずして、成果はあがらない。
人材は、人と組織と社会を共に並べて、見て、考え、行動する。
見ているところが適切であり、行動が適切であれば成果はあがるはずである。
適切は適切であって、正しいは存在しない。 ━


適切な答えは、それぞれの人の中にある。
行動をした結果は、過去に現れず、未来に現れる。
未来は分からないから、正しいは存在しない。

正しい答えは、常に過去にある。
起こった事柄は一つであり、起こった事柄を並べて、因果関係を解いたところで、
因果関係すら、同じ材料で、同じレベルで起こりえない。
仮りに、同じように見えて、行動して、同じような結果が出てきたとしても、
正しかったかは分からない。
もっと大きな成果があがっていたかもしれないのだから、正しいとは言えない。
もちろん、成果が少なからずあがっているのならば、間違いではない。

間違い、正しい、適切は、同じ線上にはない。

長く、同じことをして、同じように売れていて、あるとき、売り上げが鈍ってきた。
次第に売り上げが下がってきたとしたら、間違いであったのか。
結果としては間違いであるが、正しいとされていたことをしてきた。
この正しいは、過去に照らして正しいのであって、明日については、適切ではなかったのだ。
繰り返すが、正しいは、過去に照らしている。

変化の時代にあって、科学の応用も、考え方も、見ているところも正しいとは言えない。
科学は常に新しい発見があって、今までの常識をくつがえしてしまう場合もある。
或る時から、正しさが変わってしまう。

視る、考える基盤は過去にあるのは間違いない。
だが、視るところは広がり、考える材料と要素、関係は広がっていかざるを得ない。

その始点は、人にあり、社会にある。
組織に始点は、残念ながら、存在しない。
組織に始点があるとすれば、一度起こった組織は永遠に続くはずである。
組織から、始まるものはない。
組織が新商品を出すから、新商品は組織が始点になる。
だが、新商品が商品として一時的であっても生きるのは、社会である。
社会の必要から、商品が産まれている。
社会の必要を発見するのも、必要と認識するのも、人と人の集合である。
新商品の始点も社会にある。


人の得意を探す、人の能力を有効に活用するは、経営学の範疇にはない。
マネジメントの範疇である。
経営学では、人は何々をする、が前提にある。
何々は決められている場合が多い。
経営のために、人の何々を活用するが先にある。
だから、人の持つものを活用するために人を集める。
いきなり、人が人でなくなり、人は猫の手になってしまう。
人をコストとして扱い、人を面倒な存在して扱ってしまう。
人が使えなくなったら、使い道がなくなるか、小さくなったら、人を排除する。

適材適所の言葉がある。
この意味を、誰が上手く行うかを考えているならば、人はコストになる。
人が面倒なものになる。
できなければ、上手くできるようにしようとし、出来なければその人はいらなくなる。
上手く行う必要がなくなれば、やはり、人はいらない。

マネジメントでは、この人は、何を如何に行い、如何なる成果をあげるかが先にくる。
仕事の前に人があって、マネジメントになる。
適材適所の意味を考えなおさねばならない。
少なくとも、人と仕事の要因を拾いなおす必要がある。

1+1=2の枠にあって、経営学になる。
当然ながら、経済としての数値が出てこなければ、経営は成り立たない。
意味の合計は、計算できず、仮説の意味の合計は期待にしかならない。
当然、資産勘定は出来ない。

しかし、意味の合計と、意味の反応が分からなければ、
イノベーションは起こらず、発展はない。

数の拡大を図れば、限度が必ずくる。
正しさを追っても限度がある。

数は分かり易い。
計算もできる。
数に基づく計算もできる。
数の大きさは無限ではある。

数が正しければ、下方、上方修正は何故に起こるのか。

始点は、人と社会にある。
組織は、人と社会を最適に繋ぎ、反応させて、組織が発展する。

自らの意味、人材の意味、その活用と発展、社会の意味と変化を見つめなければならない。
その解を活用し、活かすのが組織である。



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