◆≪最大成果を宣言≫ ちょっと頑張ろう 2424号   2016/4/5 火曜日

≪ミッション――ものづくりの意味を追う≫

●ミッション――ものづくりの意味

日本で、株式取引所ができたのは、1878年だった。
日本銀行ができたのが1882年だった。
1872年毎日売新聞、1874年読売新聞、1879年朝日新聞が設立された。
洋菓子店が初めて日本にできたのが、1877年だそうだ。

東芝の前身の創業が1875年、1881年沖電気創業、
国内初の旋盤が製作されたのが1889年(池貝鉄鉱所)、
初の外国資本との合弁会社ができのが、1899年日本電気(NEC)だった。

明治維新以降、産業振興の方向が出来上がったとしても良いかもしれない。
以降、第二次世界大戦の終結まで続いていた。
終戦後、新たな産業形態へと進むが、大戦中に産まれた生産革命が、日本の産業を後押した。
人口の急増に伴い、大量生産が社会を変えていく。

バブル崩壊後、1995年、ITが急速に進み、産業構造が変わり始めた。
グローバル化が一気に進み、環境、エネルギーの問題を誰もが知るようになる。

振り返れば、1995年は、大きな節目だったのかもしれない。
「ものづくり」が言われ始めたのが1990年頃で、
1999年「ものづくり基盤技術振興基本法」の公布後、「ものづくり」の言葉が一般化する。

日本では、企業と言われる組織体が動き出すのは1900年に入ってからだった。

江戸時代には、お店として流通産業があり、ものづくりの集団は存在していた。
当時の大きなお店の家伝書は、現在のマネジメント教本のようなものが存在した。

明治維新、世界大戦の敗戦、IT化が、産業としての節目だったようだ。

2000年まで、物を作ることがミッションだった。
1955年から1975年までの間、集団就職列車が運行していた。
肉体労働を主体とした産業の担い手たちだった。
物を社会に供給して、社会が豊かになったとした。
ミッションの意味を考えなくても、生産すれば良かった。

1975年頃から、肉体労働から知識労働へと重点を移し始める。

1900年頃にマーケティングが産まれたのではないかとされている。
1960年頃に戦略マーケティングができた。
1970年頃にソーシャル・マーケティングが提唱されたそうだ。
この頃に、4P、4C理論ができていた。
知識産業の代表かもしれない。

ブランドなる言葉が経済的な価値を持つようになったのは、1940年から60年頃ではないか。
資産と認められたのは1980年代になってからだった。
イギリスが最初だった。

前ふりが長くなった。
私たちが、ミッションを言うとき、モノに置き換える。
産業が成立して、経済社会になって、モノの生産が中心だった。
生産が軸になるのは、今でも変わらない。
生産効率が言われている。
だが、モノが意味を持つようになった。
何等かの機能を表すようになった。

何のために「そのモノ」を作るのかが大切になった。
モノの意味にブランドが載っている。

モノの意味がなければ、モノは売れなくなっている。
コンビニは便利を売っているは、周知である。
多くの商品は、楽さ、格好よさ、速さ、便利さ、面白さを売る。
モノではなくなった。
ただ、便利さだけでは、売れない。
便利が機能しなければならない。
機能して、顧客の問題を解決するか、期待を満足させなければならない。
問題解決と期待満足が重なって、社会全体で機能する。

そこに、仕事の意味があり、知識生産があり、ミッションがある。

モノだけを持って売るためには、モノが無くて、モノが必要なところに行かねばならない。
いつかは、すべてが満杯になる。
満杯になって、終わるのではあれば、モノを作ることがミッションだったのだ。

既に、モノ自体が、ミッションを現さない。
モノに含めておかねばならない。

「ものづくり」の意味が大切になったのだ。
労働実態として、知識労働が増え、過半をはるかに超えている。
何故、知識労働が増えているのだろうか。
知識労働の焦点はどこにあるのだろうか。



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