◆≪最大成果を宣言≫ ちょっと頑張ろう 2417号   2016/3/25 金曜日

≪知識社会――現場のテクノに知識を与えよ≫

大卒であれ、博士を持っていようが、テクノがなければ、知識は役には絶たない。
単なる知識であり、科学であって、飾りものである。
知識を得ようとする者が、知識のみに執着したとすれば、学ぶ意味がなく、目的がない。
学ぶ意味があるとすれば、知識集団の中だけである。
教育機関が、知識集団にして、テクノに意味を感じず、
テクノを作りだそうとしなければ、孤立した世界にならざるを得ない。

産学共同は、教育機関からすれば、テクノを見いだす機会を得るためだろう。

現場には、テクノがある。
如何なる現場であってもテクノが存在するはずである。
テクノであると感じられないだけかもしれない。

営業がコミュニケーションを最大の武器であると思っているならば、
自らのテクノを放棄しているように思える。
コミュニケーションは大切であるが、コミュニケーションが第一ではない。
文筆家が、
文を操るのが匠であったとしても、文章に内容がなければ商品にならないのと同じである。

コミュニケーションは、目的を持った手段であり、あらゆる現場に必要なモノであり、
異なる分野、異なる価値を結びつける役割を果たす。
このセンテンスに表れたように、分野があり、価値感が、表現に表れているのだ。
価値観やあるカテゴリーに、優れた内容があるはずである。

いびつな言い方をすれば、優れた内容があるとすれば、
コミュニケーションの上手さは関わりがないはずである。
内容を知りたい者が知ろうとして、質問を繰り返すはずである。

現場のテクノは、直接的目的を達成するためにある。
目的が表れれば、テクノが動きだす。
テクノのみを重要視しているとすれば、直接的目的が現れなければ、テクノは役に立たない。
目的が表れ続けなければ、テクノは消滅する。

テクノは、決して消滅しないはすである。
テクノを所有するモノが交代したに過ぎない。
機械生産が始まったように、テクノが機械に置き換わった。
コンピュータ制御が、テクノが持つ制御をシステムに置き換えた。
だが、テクノが減ったのではなく、増えたのだ。
機械を作りだすテクノ、制御システムを作り出すテクノが増えたのだ。
だから、産業構造が変わり、新たな産業が現れる。

テクノが機械に置き換わり、新たなテクノが表れ増えていく。
元々のテクノがなくなったのではなく、主役が変化しているのだ。

匠さがテクノに変わり、匠さをテクノに変えるためのテクノが現れる。
テクノを機械に置き換えるために、分析と論理が必要であった。
これが、知識である。

テクノを別のテクノに置き換えるテクノが体系化されて、知識に働く知識が現れた。
これが、知識革命の始まりである。


現場にはテクノがある。
テクノに知識を与えねば、テクノが目的を作り出せられない。
テクノ自体が発展しない。

知識にはテクノ必要である。
テクノに知識を加えねばならない。

産業の側から産学共同を見れば、テクノへの知識化であり、
テクノと知識との合体からの新たな分野の発見を試みている。


一般の現場で、科学になっていない現場で、テクノがある。
科学になっていないのではなく、なっていないと思っているだけで、実際には科学がある。
その科学に気付いていないだけなのだ。

テクノがある現場では、精度を向上させられるはずである。
知識は、精度を飛躍的に向上させられるはずだ。
現場には目的があり、その目的は直接的であり、見える対象である。
見えない対象を見えるようにするのが知識である。
知識は、テクノに意味を与える。
意味が目的を広げる。
テクノを飛躍させる。

テクノのない知識は意味がない。
知識のないテクノは目的を失い、消滅する。

現場は、テクノと知識が集約されている。
テクノに意味を見いだすようにしよう。
現場のテクノに知識を組み込むようにしよう。
その答えも現場にある。

知識とテクノを合わせて使う者をテクノロジストと言う。


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