◆≪最大成果を宣言≫ ちょっと頑張ろう 2397号   2016/2/25 木曜日

≪組織にとっての社会――社会的責任≫

━ 企業は社会の中にいる。
社会なくして存在しない。誕生することもない。
社会から、資源を借りてくる。
知識と技術を借りてくる。
社会で必要とされているモノを教えてもらう。
社会に居る優秀な人材を集めて、資源と知識を借りて、
必要とされるモノに転換して、社会に返す。

最小の資源で、最大に成り得るモノにして、社会に返す。
そこに、企業は利益を得て、社会に資源を提供して、社会を発展させる責任が生じてくる。

社会から借り受けたモノの総和が、
社会に返したとき、総和を出来るだけ超えていなければならない。 ━


資源と、知識、技術を借り受けてきたのだから、有効に使わねばならない。

企業は、企業の内と外の境目を作りあげている。
しかし、勤めている者は、社会に居て、社会を形成し、コミュニティを作っている。
人が退職すれば、その人の知識・技術は社会に流れ出ていく。
一人が入社すれば、その人の知識・技術が企業の中に入ってきて、
その人の知識・技術が企業内で活用され、何らかの形に置き換えられて社会に出ていく。

企業の内と外の境界があるようで、実際にはない。

入社した時と退職した時と、人の知識の量と質が同じであれば、
企業は人に対して何も返せていない。
人が疲弊したのであれば、負を発生させただけになる。

労働力が人への報酬へと転換されているするのならば、エネルギーの変換が起こっただけである。
人に対して、何も生産されていない。

退職した人の知識・技術の総和が、社会の知識・技術の総和を広げているならば、
企業成果は有効であったとされる。

昔は、人の労働力だけであったが、今では、知識が転換されて、別モノを創りだしていく。
資源を取り入れて、有効な形に置き換えるが、
果たして資源の元の量と質以上に転換されているかは疑問である。

生産活動が、生産されるモノ以外のモノを副産物として排出し、
副産物が社会に負に働くのであれば、負を解決しなければならない。
負を解決して、生産したと言える。
負をそのまま置いていたとしたら、もしかしたら、企業は社会を浪費しただけになるかもしれない。

資源を活用し、知識・技術を転換させ、生産させた結果が、
活用したモノの総和を超えなければ、生産したことにはならない。

生産に対する責任、資源活用の責任、人材活用の責任、発生する負の吸収があって
企業は拡大する。


企業の責任を問うのではない。
資源等々を、十分に活用する試みをしてみよう。

資源を活用して、経済での増加があったとしても、資源をコストと見ただけに過ぎない。
資源が、資源以上の価値を持たせられたかである。
資源以上の価値を持たせられたとしたら、資源活用の意味がある。
持たせられなければ、まだ活用の余地がある。

人の知識・技術を活用する。
すべての人の知識・技術が、日々、成長しているだろうか。
如何なる人も、何らかの形で成長する。
知識・技術は広がっていくはすである。
その成長を促し、成長を活用できなければ、経済的にも負の力の方が大きくなる。
労働と知識を切り離して、労働への代価としみれば、コストだけが大きくなる。

人への視点を変えるだけで、人が資源になる可能性は高い。

社会にモノを返したとして、モノが資源に成り得たとしたら、社会は発展する。
その恩恵を企業が受け取れる。

現在は、どれほどに資源と人材を活用できているのだろうか。
ある試算によると資源の12%しか活用できていないとされていたように思う。
とすれば、考え方と方向、方法だけで、もっと活用率を上げられるかもしれない。

企業の社会的責任としてとらえてみると、成長の余地があるのではないか。


業界別に企業群を調べてみると、横並びになっているところが多い。
どの企業も差別化を試みている。
間違いではないだろうが、もう一歩、突っ込んでみたらどうだろうか。
我が社の社会的責任を果たすためには・・・、
とすれば、差別化以外に見えるものがあるかもしれない。



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