◆≪最大成果を宣言≫ ちょっと頑張ろう 2388号   2016/2/10 水曜日

≪数と言葉――手持ち事実の中での確からしさ≫

━ 自然物を観察した結果以外に、確かなモノはないかもしれない。
人の活動、業務、社会、組織・・・。
どれを挙げても確信が持てるほどの確からしさはないかもしれない。

見方、考え方は、統一されて確かであるように見えても突き詰めれば不確かである。
客観性があるとしても、主観に対しての客観で、主観よりも確かかもしれない程度である。
多数の見方、多数のデータが、一つの方向を示していたとしても、確かであるかは分からない。

一つを示す数を、多量に集めても、例外があれば、確かではない。
例外は、見ている者にとっての例外であって、例外が真実かもしれない。
確率として、数で表されるが、表された数の意味では確実ではない。 ━


自然物を観察して、見て、分析して、結果をまとめて、確かに事実であるとしても、
見方や、観察基準が変わると、結果が変わる。

発見されなかったもの、見えなかったものは、事実にならないから、観察したものがすべてではない。
もしかしたら、見えていないものが、真の姿かもしれず、
見えているものは、虚像であると言えなくもない。
すべてを見たかと聞かれれば、見えるところは見たとしか言いようがない。

自然物の観察にしても、確実とは言えないのだ。

社会現象などは、見えないのだから、分からない。
見えているところだけを、かき集めて社会現象だと言っているに過ぎない。
科学が進歩して、アプローチの方法がいくつも出てきて、昨日よりはよく見えているだけである。

何かを計量しても確かであるとは限らない。
正確に測っても誤差が必ず生じている。
検討するときは、±0.2の誤差を考慮に入れる。

見えなければ分からない。
だから、概念で見る。
思考して、深淵を探り、数値化する。
化学の周期律表ができた時のように、理論から全体を埋めていく。
周期律表の完成を見て、周期律表が存在の有無を確認しようとする。

ある種の仮説を持って、仮説が真であるとして探す。
論理を組み立てる。
論理に間違いが見つけられなければ、その仮説は真であるとする。


業務である種の戦略をたて、進めていく。
結果として思惑通りになれば、戦略は正しかったとなる。
だが、さらなる大きな成果が別にあったかもしれない。
あるとすれば、戦略は、必ずしも正しくはないとなる。

すべての意思決定では、最適であるかのように見えるが、結果は分からない。
だから、数々の方法を試みるしかない。

如何なる場合も「分からない」だけは確かである。
見えている事柄、分かっている事柄は、一部である。
全体が分からず、見えている事柄の相反は見えていないかもしれない。


分かっている事柄は何か、から始めるしかない。
分かっている事柄を計量してみなければならない。
実態とされる意味と量である。

量、構造、変化を探る。
それぞれの意味を探る。
変化を予測し、予測外の変化が現れたとき、見えていなかったところが見える。

持っているものの見える実態を求め、ここから始めるしかない。
数で表されたとしても、意味を確認しておかねばならない。
意味を検討とした時、見るべきものの過不足が分かるかもしれない。



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